tetsu kato
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2003 Art Yuran in アーティスト・ヴォイス vol.44 加藤 哲(Tetsu Kato)
「曖昧なものを曖昧なままカタチにしたい」 "ゆらぎ/られつ" ギャラリーPSY 銀座・東京>
「わかる人だけわかってくれればいいんです」。夏のある日、個展会場で耳にした作家の言葉。作品は整然としたインスタレーション。私自身、とっかかりが欲しいと感じていただけに、彼の言葉がやけにひっかかった。多くの人にわかってもらいたいと願う作家が多いなか、こう言い切れる心情をぜひ聞きたいと思った。来年2月に個展を控えた加藤哲さんに、真意を語ってもらった。
制作コンセプトを教えてください。
自分自身が人と接する中での表面的な関わり合いがテーマです。内面のドロドロに関わらず人と接する時は表面的な部分から入りますし、それが美しいとされている。形から入る制服と似てますよね。僕自身も最初は芸術家としてすごいことをやってやろうという考えがありました。でもそれが逆に苦痛だった。そして自分が本当にやりたいことって何だろう?って考えた時、自分が一番納得して制作できるカタチが表面的な自分を出すことだったんです。
そう気付いたのはいつ?
大学を卒業する直前でした。周囲を見渡して、自分は何をやってるのかってふと思ったんです。世の中にはいろいろな情報があふれていて、その量の多さゆえ吸収できず、結局当たり障りなく生きていく自分を含めた大衆を客観視した。戦時中ならばひとつの目的があったと思いますが、今は自分で何かを決めていかなきゃいけない時代だと。でもこんな情報過多の社会では表面的に生きていくことしか成り得ないって悟ったんです。
加藤さんはそれを良しとしているのですか、それとも・・
現状では良しとしているんですけど、もちろん将来的に絶対なんとかしていきたい。でも今の自分には表面性の追求が自然であり真理なんです。例えば、僕は表面と裏側で様相が異なる作品を制作していますが、最初会場に入って人が出会うのは表面の部分でしかない。それは初対面で人と人が会う時と一緒です。でもある日、観客のひとりが裏側に入り込んだら、その後そこに列ができたんです。他の人も裏面を見たいと思ったんでしょう。そんな観客の行動を通して人間を客観的に見られるんです。
まさに人間関係の縮図が出たんですね。
その作品の裏側は、日常を写した断片を並べていたんです。自分の身の回りのモノだったり、見せたく無いような処とか。表だけ見て帰ってもらうのが僕の本心かもしれないし、作家として裏側も覗いて欲しい気持ちもかくせない。それが人と人が接する現状だと思っています。自分の中で揺れ動いている気持ちを作品で表現したいんです。
「揺らぎ」を作品化するのは難しくないですか?
昔、油絵を描いていたんですけど、僕自身あやふやな精神状態で、気に入った線を引けたと思っていても翌日はイヤな線になっているんです。それがジレンマでした。それで自分の気持ちに柔軟なものを作りたくなったんです。曖昧なものを曖昧なままカタチにしたいと。決定的ではないものを作りたくて、見る角度によって見え方の異なる作品も作りました。全て自己の中の矛盾からはじまっているんです。やりたいこと、やりたくないこと、その都度変化してやまない気持ちを形にしたい思いがあります。
形態として四角にこだわっているのは?
四角ってそれだけで形になるんです。それがちょっとの差異で自分の中では違うものになる。各パーツは何センチ×何センチと計っているわけではなく感覚で切っています。それぞれに個性があって欲しいという思い入れなんです。でも並べると観客には一様に見えてしまってるのが面白い。画一的でありたい気持ちとそれを否定する気持ちを共存させるために…コレなんですよ!
GALLERY PSYで初めて作品を見た時、どう見たらいいの?って思いました。
そのへんが苦しんでいるところです(苦笑)。あの時は箱を縦横に整列させて、ひとつでも欠けると全体のバランスがくずれてしまう空間をつくりました。中のパーツの向きがちがうと成り立たない一方で、箱の中では激しく動くこともできる。一種の制約の中での心地良さを表したかった。でも見る人にとってはキッカケが見つけにくい作品だと思いますし、しょうがないかなって。僕にとっては自然な表現なんですけどね。
今後の活動は?
平面と立体をつきつめてやっていきたいと思っています。今度の個展は2会場での開催で、地下展示室ではこれまでとちょっとちがう展開をやりますよ。
words:斉藤博美
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